フェンダー・ジャパン前史①

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 まずは1982年以前の日本および米英の音楽と楽器とを取り巻く状況を俯瞰しつつ、フェンダー・ジャパン前史を追っていこうと思う。のっけから道草のような流れだが、重要なポイントが含まれているので、かいつまんで説明しておきたい。

 本家フェンダーの楽器群が全世界で注目されるきっかけは、もちろんロックカルチャーの台頭だった。もはや音楽史の定説だが、ロック(日本風に言うとニューロック)のおかげで、フェンダーもギブソンも、新しい命が楽器に吹き込まれることになる。

 サーフボードギターと揶揄されたストラトキャスターは、一転、時代のサウンドを生み出す根源になった(サーフボードギターという蔑称は、嫌いではない。コンターのカーブの滑らかさにフェテイッュを覚えるたちだからもしれないが、ストラトのある種の軽やかさを言い当てている)。

 不人気から生産が打ち切られていたギブソンのレスポールが68年に復活したのもロック・ギターとして不動の地位を確立したからだ。つまり、楽器の生き死にというのは、音楽による影響力が大きいということだろう。

 そういう意味で言うと、日本の楽器業界がフェンダーやギブソンのコピー製品を作り、「コピー楽器戦争」と呼ばれるほどの活況を呈していた70年代半ばからの音楽はどうだったろう。

 1975年からのビルボード年間トップ40を見ていくと、ソウルやダンスミュージックに根差した、華やかでスムースな音楽が次第に好まれていく傾向が見てとれる(ロックはサブカルチャーなので、最大公約数的な性格が強いトップ40に、60年代だからといってジミ・ヘンドリックスやクリームが入るわけではないのだが、その分、大きな流れをつかむことができる)。

 70年代半ば、真空管の時代の終わりともあいまって、録音現場に昔ながらのノイズが入り込まなくなっている時期とも重なる。トランジスター増幅のミキシングコンソールによって録音されるクリアーで歪み感の少ないサウンドが生み出されると、しだいに楽器にもその性格が要求されるのは自然な流れだ。

 フェンダーもその例にもれない。70年代のストラトキャスターやテレキャスターは、音の印象で言えば硬質でエッジィ。ファンキーなカッティングや輪郭がはっきりしたバッキングに向いているイメージだ。50年代、60年代のようなリッチな中低域よりも、低域から高域まではっきりした、硬いアッシュ材のドンシャリ感のあるサウンド。つまり、その時代にあった音を、ストラトキャスターであれテレキャスターであれ、供給するようにしていたわけだ。

 そして、重要なポイントというのは、日本ブランドのコピー楽器群もこの時点では、「同時代の新製品」のコピーを作っていたということだ。コピー楽器だけではなく、オリジナル楽器は、もっと色濃く同時代に寄り添っていた。この時点では「最新のものが最良」という考えが優勢であり、ヴィンテージという価値観は形作られていない。そして、当時の現行品に対しての良し悪しの判断は、ひとまず保留されていたはずだ。ストラトキャスターであれば重いアッシュボディに起因するあの音こそ新品の「フェンダーの音」だったのだから。

 70年代グレコのSEやEGシリーズなどは「ヴィンテージだから」というよりは、「海外ミュージシャンが使っていたギターに似せるように」作っていたはずだ。その範疇で「なんとなく似ている」から「かなり似ている」への精度の進化はあっただろう。しかし、姿形だけでなく「座繰りまでまったく同じ」にするまで突き詰めるような、ある意味で、「JVの思想」とでも呼ぶべき物作りはされていない。

 ここで疑問が湧く。「かなり似ている」から「まったく同じ」へと、わずか数年で飛躍することになるその萌芽はいつ、何がきっかけで芽生えたのだろうか。

 そこは、のちにフェンダー・ジャパン株式会社を形成する主要メーカー、神田商会=グレコの進化の中に答えが見つけられるかもしれない。

 

 

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