1982、JV。
ギター/ベースフリークであれば、この数字とアルファベットの意味するところは、すぐにおわかりになるだろう。--1982年製フェンダー・ジャパンの楽器に付されたJVシリアル。
JV、すなわちジャパン・ヴィンテージ。
フェンダー・ジャパンは、1982年に生まれたときから、すでにヴィンテージを標榜しており、本家フェンダーUSA黄金時代のギターとベースを復活させることにその意図があった。
最初の製品群として、JVシリアルが与えられた楽器の音色、木材の質とその加工精度、ヴィンテージクローンとしてのトータルな佇まいは、すでに完成の域にあった。……というよりも、JVは誕生のその瞬間が頂点であり、とくに「115」は他の追随を許さない圧倒的なアウラをまとっていた。
それを持ってして、フェンダー・ジャパンは世界に名を馳せた。
2020年現在において「本当の」ヴィンテージ楽器となったJVの実力は、全世界の中古楽器相場でのプライスタグを見ても一目瞭然だろう。豊穣とされる80年代日本製ギター、ベースのなかにおいても、突出した存在であることは疑いようがないはずだ。
フェンダー・ジャパンは設立当初から本家をもある部分で内包しながら、30余年にわたって世界中の初学者からプロフェッショナルまで、あまたミュージシャンとともに歩んできた。
だが2015年、われわれの知るフェンダージャパンは消滅した(しかし、そういう意味ではすでに1997年に一度なくなっているのだが)。これから見ていく様に、特殊な事情のなかで誕生したはずのフェンダー・ジャパンは、なぜ世界を席巻することになったのか。
本稿では、資料をもとにして歴史を縦横に編み込みつつ、元フェンダージャパン関係者の証言を取り入れ、さらに私見も交えながら論をドライヴさせるつもりだ。資料と証言の齟齬は、30年の時間経過を考えれば当然起こりうる。資料が間違っていることもあるだろうし、証言者の記憶があいまいなこともあるだろう。なるべく丹念に糸をほぐしながら、かつ横道にも逸れながら、フェンダージャパンとJVの物語を書き進めていきたい。
1982年から1984年の間に作られたJVシリアルを持つギターとベース。とりわけ1982年製の「伝説」は正当な評価なのか、あるいは過大評価なのか……。フェンダー・ジャパンとJV誕生のインサイドストーリーをめぐる旅を始めよう。